こんにちは~! やほ(^^)/ HELLO スーさんです(●´ω`●)
電話機の歴史が案外面白かったので楽しく書いています(^_-)-☆
意外とテキトーだったんですね(´▽`*)ケラケラ
さてさて、早速行きましょうか! 電話機の歴史パート2
「電話」マークの原型にもなった黒電話
時代は流れ【昭和】いわゆる「黒電話」の元祖となる「3号自動式卓上電話機」なるものが登場!
( ˘ω˘ )オメデトウ
電話機は1933年(昭和8年)に、郵便や通信を管轄していた逓信省(ていしんしょう)によって日本国内で制式化・提供開始されました。
この3号機電話は、アメリカの著名な工業デザイナーさんにより考案された「302型卓上電話機」をヒントに作られたものだそうで、その後、国産の技術だけで作られた「4号自動式卓上電話機」(1950年)、部品の改良により長寿命電話機といわれた「600形自動式卓上電話機」(1963年)へと改良を重ねていくが、中央の大きなダイヤルや安定感のあるブラックのデザインは、長く引き継がれていったそうです(^O^)
また、災害時にも黒電話は電話線を通して電力供給されているので、電話線と黒電話が直接つながっていれば、災害時に家が停電になっても、電話線が繋がっていれば通話ができます。
ただし、電話局からの給電が止まってしまったり、電話回線が切断されてしまえば当然、通話はできないですし、また、自宅が光回線でルータなど介して接続している場合など、接続状態によっては停電時に使用できないケースもあるとのことです。
そして黒電話から「オシャレ電話」へ
またまた時は流れ、平成も間近の1985年(昭和60年)、通信の自由化により国有だった通信事業が民営化され、時を同じくして家の電話が黒電話以外に自由に買い替えられるようになったのもこの頃です。
黒電話の時代は「一家に一台」が当たり前だったのですが、これを機に家電メーカー各社からさまざまなカラーやフォルムで、留守番電話機能や子機、ファックス機能などを搭載した電話機が続々と登場。80年代後半に始まる「トレンディドラマ」ブームと相まって、オシャレなインテリアのアイテムにもなったんだとか。
とくに、本体との距離は限られているものの、無線で通話できる子機の登場は、「電話は電話機の前で」というそれまでの通話スタイルの常識を覆す、当時では画期的なものだったと言えます!
このあたりの移り変わりはこちらをご覧ください。
そして公衆電話。
今では公衆電話すら見かけることは少なくなってきましたが、当時の公衆電話には、用途ごとにいろんな色があったそうです。「自働電話」と呼ばれた初代公衆電話の登場から半世紀後の1951年(昭和26年)一般の加入電話を店頭におく公衆電話がはじまり、1953年(昭和28年)からはより分かりやすく赤く塗られた公衆電話、通称「赤電話」が登場しました。
公衆電話は戦後復興で電話需要が高まるなか、設置工事がなかなか追いつかなかったことから、お店の中や店先に設置する「委託公衆電話」という形で全国に広がったそうです。
それから公衆電話は、用途ごとにカラフルに・・・。
1968年(昭和43年)には電話ボックス用の「青電話」、1972年(昭和47年)になると100円硬貨が利用できる「黄電話」が登場。遠い田舎の両親にかける長距離電話や長時間の
電話に役立ったそうです。10円玉と、100円玉を投入できる仕様だったのですが、100円硬貨を使用した場合、100円分の通話に満たない場合でもおつりはでなかったらしいです(゚Д゚;)
1982年(昭和57年)には、磁気カード「テレホンカード」が利用できる「カード式公衆電話」が登場。グリーンのボディが目印。枚数限定での“アイドルテレカ”が高額で売買されたりしました。
スーさんテレカ欲しい?(゚Д゚)?
・・・・。うん。答えなくていいよ・・・。(。-`ω-)
電話誕生からケータイ誕生前までの歴史を振り返ってみました!
スマホ1台で世界中とつながることができる現在から考えれば不便に思えるますが、手紙や電報しかなかった時代、電話機がもたらした時間差のない情報共有は画期的なものだったと言えます。
150年前にはじまった東京~横浜間の電信線架設工事は、まさに日本の情報化時代の幕開けともいえるでしょう!
いかがでしたか?
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それでは! 今回は以上!!! スーさんでした~(●´ω`●)